この間、機械式の腕時計を買いました。オリエントのBambinoシリーズのRN-AG0005Sです。定価は36,000円強ですが、セールで2万円でした。
もう購入してからかれこれ2週間くらいになります。2万円でしたが日差プラス4秒くらいで動いていて、想像以上に正確でした。
最近の私は普段腕時計はしなくなっていました。スマートフォンがあるので。でも、これを購入してからは日中はほぼ身に着けています。夏場なので汗ばむときは外しますが。
そもそもなんでこの時計を購入したのか?
端的に言えば気分転換のつもりで購入しました。この数か月、いろいろあり、心ここにあらずといった日々が続いていました。なので一つの区切りとして、昔から欲しかった機械式の腕時計を買おうと。
腕時計というくくりでは、実は以前から、流行りのスマートウォッチ(特にGARMIN)が気になっていました。ストレスメーターや心拍、睡眠まで管理できる、まさにスマートな時計。自分の体調管理の面でもこういったツールは有効だろうと思ったからです。
でも買ったのは、昔ながらの機械式時計。機械式なので、正確とはいえ1日で数秒のズレが必ず生じ、週に一回くらいは時刻合わせの必要があります。また最長の稼働時間は40時間。自動巻きが付いているので、日中動いていれば自然とゼンマイがまかれていますが、なにもしなければ2日経たずに止まります。
時計の用途としてスマートウォッチと機械式、どっちが優れているか?
明白なのは、正確な時が知れてさらに追加情報もとれるスマートウォッチの優秀さです。バッテリーも充電式ながら10日くらいは平気で持ちますし。
でも、この機械式時計を買って気が付きました。
正確な”時間とは何だろう?”と。
「そりゃ日本標準時と一致していることでしょう」
というのは正しいと思います。でも、”主体的な時間”はどうでしょうか。
主体的な時間と不要な束縛からの解放、そしてより今にシビアになれるということ
自分自身に流れている時間、過去そして未来を感じること、そして時計を見たときにそれが時を刻んでいる感覚。そして、不正確な機械式時計のほうがより時間にシビアになれるということ。でも同時に、不用意な時間的束縛から自由になれること。
時間にシビアになれるとはどういうことでしょうか?
デジタル時計のほうが圧倒的に正確になのに?
答えは意識にありました。デジタル時計は正確無比な故、疑うことがありません。
19:58:24
この現在時刻の表示を見たとして「これはずれているかもしれない」「まったく不正確かも」そう思う方がどれほどいるでしょうか。私もデジタル時計の表示を見る限り、このような情動は起こりません。
でも、機械式時計となるとこの意識や情動が異なります。
まず数字ではなく、流れる秒針を眺めて、例えば「この間見たときは15秒ほど遅れていたな」と意識します。そして、現在時刻を確認する間も刻一刻とテンプは振動し、秒針は進みます。この流れを意識できることがとても良いことだと気が付きました。デジタル時計で「あと3分しかない」と感じることが、機械式時計だと「まだ3分はある」とその時間意識の正確さを増すのです。
そして月に何度も「この機械式時計はどれくらいずれているのか」意識します。そのたびに日本標準時を表示し、大きくずれていれば時刻合わせします。デジタル時計で、ここまでシビアに時間を意識できるでしょうか。
そして同時に、時間にシビアになれる、主体的な時間を正確に感じ取れることは、それは不用意な時間的束縛から解き放たれることを意味します。秒針を見ながら、いまから何ができるのか、どれくらい誤差を含むことができるのか、どれくらい余裕を持てばいいのか、秒単位で思慮できます。そして不要な未来への不安を捨てて、今に集中できるのです。
正確さとは何か?
結局、主体的な時間に絞って話せば、機械式時計はとても優れていると感じます。電波式デジタル時計が正確無比であるがゆえに、思慮の余地がないことがそれを表しています。
デジタル時計の正確である表示を見るががゆえに、自分自身の”秒針”があいまいになる、そんなトリックがあると感じます。
疑いの目で見て、時間を感じながら、その表記を再確認する。この流れこそ、正確さとシビアさにつながると思います。
でも忘れてはいけない。これは時間に束縛されるのではなく、シビアになれるがゆえに解放されるのです。だから、とても心地よいものなのです。
時を刻むのは今を見つめること
刻一刻と物事が変わりゆくこの世の中で。
自分の今を見つめることができる、とても良い品を手にれることができました。
きっとこの先も、この時計を身に着けるでしょう。