日常の過ごし方~ゆるい決定という考え~

もう秋なのに暑いですね。20℃くらいの涼しいときもあれば、30℃を超えるような暑さがまだ残っています。毎日過ごしているだけで、それなりに疲れてしまいますね。

さて、今日は久々に更新するのですが、思ったことを書きたいと思います。

毎日をゆるく過ごしたいと思った

最近、どうも毎日身が入らないと言うか、軸がぶれたような毎日を過ごしています。仕事はそこそここなしていますし、生活リズムは整っています。金銭的にめちゃくちゃ困っているわけではないし、プレッシャーになるようなことも少ないです。

そんな中、自分の中にある、思いがどうしても抜けなかった。

「毎日を今よりもっと良く出来ないか?」

「更に最適な決断はできないだろうか?」

この考え自体は悪いことではないと思うのですが、一種の自分に対するプレッシャーですよね。この考えが残っている理由は、多分これまでの人生が関わってきます。特に社会人になった13年前から、つい去年くらいまでの過ごし方がこの考えを作っていると思います。

以前までの私の生活は、実に落ち着きのないものでした。社会人になって数年で休職や離職を経験し、転職をいくつかして、恋人と同棲して、別れて、引っ越して…。会社員ではなく、個人事業主のときもありました。常にイベントがあり、しかも悪いイベントのほうが多かったように感じます。その時迫られる決断は苦しさの中にあり、ひねり出すようにして決断をしていました。

そのおかげなのか、ここ10年くらいで随分まともな人間になれたような気がします。それまでの私はひどいもんでした。振り返ってみても、まあひどい。状況が悪くなるのも納得の毎日でした。でも、昨年から実家に帰ってきて、1年過ごした結果、いろいろな状況が変わりました。そして、以前より、遥かにまともな生活をしています。実家にいるので、家事のほとんどは両親が肩代わりしてくれます。

また、10年以上悩まされた心身の不調も昨年から治療方針がはっきりして、毎日を過ごす難易度が下がりました。双極性障害Ⅱ型だとわかったのも去年の夏頃です。区切りをつけて福祉をより活用する意味で、障害者手帳も取りました。結果、症状は安定し、仕事も続けることが出来ています。

この状況変化の中、先程のようなプレッシャーは無用の産物だと感じてきました。それまでの切迫した生活とは全く異なる日常が、今の日常です。つまり、ゆるく過ごしても大丈夫なのです。そして、今の日常を認めて毎日を肯定できればよいのです。

ゆるく決定するということ

ゆるく過ごすイメージは、ぐーたらすることや、暇を持て余すこととはちょっと異なります。毎日を規則正しく過ごしつつ、生活に余裕を作り、自分自身の余裕を取り戻す、そんなイメージです。具体的には、3食をきちんと食べる、夜はたくさん寝る、部屋が散らかったら整理する、そんなイメージです。

それをするうえで大事だろうと思ったのは、ゆるい決定です。ゆるい決断と言ってもいいかもしれません。今までの決断は、考えを絞り出し、苦しくても決めていく、そんなきつい決定・決断だと思っています。これからはその逆、ふわっとグレーな部分を認めつつ、最適化せず、なんとなく決定する、そんなスタンスにしようと思っています。

つまり、3食をきちんと食べるといいつつ、食べられない日は諦める。夜寝れないときにあたふたしない、部屋が散らかったら片付けるけど、放置することも認める。一見矛盾しているかのような状況を許容していく。今まではそれがどうにも腑に落ちなかった。いや、今でも腑に落ちていません。でも、おそらく、このゆるい決定が今後のキーになると思っています。

人生を最適化しようなんて思わないこと

結局のところ、きつい決定というのは、人生を最適なものにしようとするプレッシャーから生まれるものです。どうでもよかったら、そんな決定をしません。でもそれが、かえって邪魔になっていている。現状が、ある意味での最適解に入っているので、それより最適にしようなんて、土台無理な話です。というか無駄ですらあります。

悪い生活にはなりたくありませんが、環境の変化や時間の経過でどうしても悪くなる瞬間はあります。それを、自分の決定のせいだと思わないことです。それは裏を返せば、人生は自分の意図した通りに動くと思っていることになります。それは間違いですから、むしろ自分の決定なんて大した事ない、基本的にゆるく考え、ゆるく決定し、毎日の余裕を作っていく。そういう時間の使い方が大事だと思えてきました。

どうしても避けて通れない重大かつ悪い決断は必ずどこかでやってきます。だからこそ、日常的にきつい決定をしないことが自分の余裕を作り、重要な局面で意味を持ちます。

なるようにしかならないという現実

結局はこれに尽きると思うんです。どうにかなると思って悪戦苦闘することに意味はありますが、どうしようもない外力や環境により、いとも簡単に覆ります。努力することで、自分の可能性を広げて、強くなっていくことも大事ですが、それで人生が思い通りになると思ったら、それは思い上がりです。

なるようにしかならない。

だからこそ、毎日をゆるく決定し、日常を蓄積し、重要な局面に備えていく。

私の考える日常とゆるい決定とは、そういった繰り返しです。

毎日に絶望せず、ゆるく行きましょう。

2024年~新年あけて~

このブログも開設して5年以上が経過しました。早いものですね。あまり記事が投降できていませんが。

さて、今年はすでに大変なことが起こっていますね。

能登半島地震

1月1日の午後4時ごろ、能登半島で震度7の大地震が発生しました。

この記事を書いているのは1月3日の夕方です。まだ震災が発生して間もないわけです。この規模の地震は数年ごとにある気がしますが、規模的には311を思い出すものです。

調べてみるとこんな感じ。

2011年3月11日 東日本大震災(M9・0)

2016年4月14日 熊本地震(M6・5) 16日 熊本地震(M7・3)

2018年9月6日 北海道胆振東部地震(M6・7)

2024年1月1日 能登半島地震(M7・6)

311が突出して大きなマグニチュードですが、次に大きいのは今回の能登半島地震ですね。

日本は地震大国といいますが、それにしても近年は多い気がしてならない。しかも、津波が絡むと耐震対策どころの話ではないので、これからの暮らし方を考えざるを得ません。

と、1日の時点ではこう思っていたのですが、2日に次の事象が

羽田空港 日本航空516便と海保機体の衝突事故

前の日に震災があったのに、次の日はこれです。

幸いなことに日本航空の機体に乗ってた乗客は全員無事だそうですが、海保機体については搭乗者全員が殉職とのことです。

こんな事故もめったに起こることはない。しかも海保機体は先日の地震の災害支援物資の輸送機だったそうです。原因についてはいろいろ言われています。でもわからないですね。

これだけの事象が2024年の正月に発生するとは思いませんでした。

いや、だれも予想してなかったでしょう。大変な年明けです。ぶっちゃけ4日からの仕事始めに身が入らない。昨年、何があったかすっかり忘れてしまうほどの衝撃ですよ。

わたくしとしては、今年は復活の年にしたいです。2023年は、個人的に大きな出来事があり、さらに引っ越しやらいろいろありました。2022年もいろいろありましたが。。。

今のところ、いろいろ安定しているので、この調子で1年過ごしたいところです。

まあ、世間というか、地球というか、世界がそれを許してくれるかどうかは運次第ですが。全く読めませんよ。一年間、平和に過ごしたいだけです。

今年は皆様にとってもよい年になりますように。

曇り空の心情

ここ最近、どうもすっきりしない日が続いてた。仕事が忙しいから?プライベートの動きがルーティンで固定されてるから?

いろいろ考えに耽ってしまったのだが、どうも直接的な理由はないように感じている。普通なら結果があるならば原因があるはず。でもおそらく、今の現状を指し示すには因果という言葉だけでは説明しきれない何かがある。

立ち返ってみると、7月から生活環境が大きく変わっている。基本的には良い方向に変わっているはずだ。生活全般は楽になったし、寂しさもあまり感じない。ただ、どうも心の中で拘束されているような感覚がある。自分で手足を縛っているかのような、何とも言い難い不快感のようなもの。

自分でその縄を振りほどけばいいはずなのだが、これが非常に抵抗感がある。自由にできるようになると、それはそれで自分を傷つけることがあるので、制約しておきたいのだ。

何かに夢中になり必死になるほど、自分を追いつめて傷つける。楽しいという感覚と傷ついていくことが同時に起こりえるので、非常に怖いのだ。楽しければ楽しいほど怖い。反動があるから。

おおむね自分自身の特性であることは理解している。でも、コントロールなんてものはできない領域の話で、成り行きに任せるしかない。せめて自制することくらいしかできない。

本心は解放されたいと思っている。思い切って羽を伸ばしていたいと。それと相反する形で自分を制約し続けてる。ここら辺に今の自分の中の苦しさや居心地の悪さがあると思う。

ビジネスライクに「じゃあどうするか?」と考えがちなのだが、そもそも相反する二つの思いがぶつかってる状況で、それをどうにかなんてできない。どっちも本音だから。

おそらくどこかで転機があり、とっかかりがあり、くるっと方針転換できるタイミングがあると思う。必ずそうなるというわけではないけれど、何事も変化するのが世の常だから、期待するのは悪くない。

まずはじっとこらえて、じっくりと虎視眈々と機会をうかがうのが良いかもしれない。その間に自分の中の変化もくみ取れるだろう。時間はかかるけれど、悪いことじゃない。

行き急ぐ人が多い現代で、取り残されるのが怖いのもあるが、まずは自分の中の本音同士が解決に向かう時間を見つけたい。

だるすぎ、と気づき

ここ3日間くらい急に寒くなりましたね。

どうもガッツリ寒暖差で体調が揺れてるらしく、かなりだるいです。

今日は朝に軽く食べた以外、何も食べられてなかったので、久々に自炊して鍋を作りました。

キムチ鍋を作ったのですが、材料を保存すると腐らせそうだと思って4人前作りました。

あまるの前提で作ったんですが、それでも多かった。

あと白米のゆめぴりかを初めて食べてみました。

これすごいですね。

キムチ鍋のスープより白米の甘さが勝ちます。

で、実はちょっと気がついたことがあります。

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